
GFTNパネルディスカッションレポート
2025年3月6日、東京にてグローバル・フィンテック・ネットワーク(GFTN)フォーラムの一環として行われたセッション「Evolution of Payments in Japan」には、国内外から多くの注目が集まりました。日本のキャッシュレス化が国際的なトレンドとは異なる独自の発展を遂げてきたことは、金融業界においても多くの関心を集める現象です。今回のセッションは、単なる現状の分析や制度論にとどまらず、「変革の当事者」たちによる本音と展望が語られた貴重な機会となりました。
登壇したのは、GMOペイメントゲートウェイの鈴木啓太氏、ソニーペイメントサービスの野村“ルーク”亮介氏、そしてSmartpayのCEOであるサム・アハメド。モデレーターを務めたのは、アジアの決済業界に精通するEmerging Payments Association Asiaのカミラ・ブロック氏です。
このセッションは、前半がパネルディスカッション、後半がサムによるプレゼンテーションという2部構成で行われ、日本市場のユニークさ、消費者心理の読み解き、そしてプレイヤーの変革への意志が交錯する時間となりました。
日本のキャッシュレス化 40%の壁を超えるために
カミラ氏が最初に会場に投げかけたのは、「今、現金を持っている人はどれくらいいますか?」という問いでした。手を挙げたのは1〜2割ほど。一見するとキャッシュレスが浸透してきたように見えますが、パネリストたちはすぐに「日本はまだまだ現金社会である」という現実を示しました。
鈴木氏は、Suicaなどの交通系ICカードの普及が2000年代初頭から進んでいたことに触れながらも、それが他国で一般的だった非接触型クレジットカードとは異なる技術であったことが、日本のキャッシュレスの発展に「逆にブレーキをかけた」と指摘。また、2016年の資金決済法改正によって、銀行以外の事業者の参入が可能になったことが転機だったと述べました。
サムはこの点にうなずきつつ、決済に対する日本の消費者の「根源的な態度」に話を移しました。
「日本では、現金が『信用できるもの』として定着しています。特に主婦の皆さんは家計をしっかり管理したいと考えており、多くの方がその管理を現金ベースで行っています。財布に入っているお金がそのまま自分の使える金額であること。これが精神的にも非常に強い安心感につながっているのです」
クレジットカードは、請求が1カ月後に来る仕組みゆえに、予算感覚とのズレが生まれやすい。つまり、単なる支払い手段の利便性ではなく、「日常の金銭感覚との相性」が、決済の選択において決定的な要素になるというわけです。
ルーク氏もこれに呼応し、「日本のキャッシュレス比率は40〜50%に達していますが、地方や中小企業ではまだまだ現金が支配的です」と述べました。さらに、「コンビニエンスストアのレジに並ぶ30種類以上の決済ステッカーは、選択肢ではなく混乱の象徴」と、その混雑したエコシステムがユーザーの意思決定を妨げていると指摘しました。
さらにサムは、イノベーションを成功させる「インセンティブ」の重要性について掘り下げました。
「私たちSmartpayは、METI(経産省)やJeppo(全国銀行資金決済ネットワーク)、FSA(金融庁)と非常に密接に連携しています。日本の規制当局は、他国と比べて非常に協力的で、パートナーとして一緒に制度を作っていこうという姿勢があります。これは他国ではなかなか見られない特徴です」
具体例として、Jeppoとの協力を挙げました。「たとえば、我々はJeppoと連携して、200行以上の銀行と統合し、90%以上の銀行ネットワークにアクセスできる状態になっています」
さらに「データの主権」という概念をインセンティブとして活用することについても語りました。「銀行にとって、データの主権を保持できることもインセンティブになります。クレジットカードを使う人もいれば、銀行口座を使う人もいる。そのどちらにも利益があるような仕組みが重要なのです」
そして日本市場での成功と失敗の分かれ目について貴重な観察を共有しました。
「日本にはどの業界にも、来ては失敗した海外ブランドの痕跡がたくさんあります。ほとんどが欧米の大企業です。その原因は日本の消費者心理が独特だからです。技術の問題ではありません。だからこそ重要なのは、『消費者にとっての価値』をしっかりと見極めることです」
家計管理に寄り添う「後払い」の再定義
2020年、サムはSmartpayを創業しました。ハーバード・ビジネス・スクール卒業後、Facebookアジア太平洋地域の決済・フィンテック部門責任者をはじめ、スターバックス、マスターカードなど複数のグローバル企業でデジタルビジネスをリードしてきた経験を持ち、2023年には「ハーバード・ビジネス・スクールのトップ10卒業生リーダー」にも選出されたサムが、10年以上の日本滞在を通して「この市場はもっと良くなるはずだ」と確信したことが、日本初のデジタル組込み型金融会社創業のきっかけとなりました。
「私は2010年にスターバックスのプロジェクトで来日しました。当時、日本は世界で2番目にアプリ内決済を導入した国でしたが、制度面では非常に遅れていました。私たちがプリペイド残高として扱った金額が1億ドルを超えたとき、ようやく当局が動き出し、規制が整備されていった。その過程で、日本の制度と現場の間に横たわる空白を痛感したんです」
そう語るサムがSmartpayで目指したのは、単なる後払いではなく、「日本の生活者心理にフィットするUXとしての後払い」でした。
Smartpayの仕組みはシンプルですが強力です。ユーザーは自分の銀行口座を連携し、クレジットカードなしで3回までの分割払いを利用できます。導入企業には成果報酬型の手数料モデルを採用し、ユーザーには完全無料で提供されます。これは、消費者への負担を一切かけず、加盟店との信頼関係で成り立つビジネスモデルです。
ターゲット層を明確にした戦略的アプローチ
「私たちのターゲットは、20代の若者ではありません。30〜50代の『家計を管理する人たち』です。この層は、使ったお金の流れがリアルタイムで見えることを重視します。だから、私たちは『あとで請求が来る』のではなく、『今の予算の中で、どう支払えるか』に焦点を当てて設計しています」
このターゲティング戦略について、サムはさらに踏み込んだ説明を加えました。
「パーソナライゼーションはまず『明確なターゲット層の設定』から始まります。若い企業ほど、まずは特定の層に絞って個別化を進めることが重要です。Amazonや楽天のような巨大企業は、大規模かつ汎用的なパーソナライゼーションが求められますが、我々のようなスタートアップは、より鋭いターゲティングで成果を出しています」
サムは、「BNPL(Buy Now, Pay Later)の多くが支払いの先送りとして設計されているのに対し、Smartpayは『支払いの可視化』を意識している」と強調しました。
すでにSmartpayは、Jeppoと提携し、国内の200以上の銀行と直接接続された独自の決済レール(インフラ)を保有しています。これにより、既存のクレジットカードネットワーク単体と比べて、より柔軟かつ即時性の高い構造を実現しています。
この戦略は市場からの支持を確実に集めています。Smartpayは2021年11月のサービス開始から急速に成長し、2023年には加盟店数が前年比1,800%増加、利用者数も20万人増加しました。特筆すべきは顧客満足度の高さで、競合他社よりも10%以上高いリピート率を誇ります。
これは、サムが掲げる「日本の生活者心理にフィットするUX」という戦略が確かな成果を生み出している証左といえます。また、Smartpayを導入している加盟店では、Smartpayユーザーはその他のユーザーに比べて平均購入単価が40%高く、加盟店側にも明確なメリットをもたらしています。
日本決済市場の地殻変動 これから2年の予測
プレゼンテーション終盤、サムが語ったのは、今後2年で日本の決済市場に起こるであろう「地殻変動」でした。
「PayPayの例を見ても明らかです。初期は無料でシェアを獲得し、その後は自社クレジットカードへの誘導で収益化を試みましたが、消費者が離れていってしまった。そして今はまた方針を戻しました。これは、ユーザーの信頼というものがいかに繊細かを示す事例です」
サムは、日本市場では「利便性」よりも「納得感」が重視されると強調する。「だからこそ、我々は支払い体験そのものに意味を与えようとしているのです。支払いとは単なる通過点ではなく、自分がどう生きたいかに触れる瞬間でもありますから」
Smartpayは、SMBCやMUFGといった金融機関とも提携関係を築いており、スタートアップとしての機動力と、金融機関との信頼性の双方を生かしたポジションを形成しています。外資系企業の日本進出がM&Aを通じて再活発化している今、この構造的な強みはSmartpayの未来にとって大きな追い風となるはずです。
日本進出の成功法則 Smartpayの3つの文化的戦略
サムは、日本でのビジネス構築において重要な3つの文化的要素を挙げました。これは、Smartpayが他の外資系企業と異なり、日本市場で支持を得ている理由も説明しています。
「まず1つ目は『権力距離』です。日本は階層構造が明確な社会ですが、重要なのは上層部との関係ではなく、最初に接触する担当者との信頼関係なんです。彼らは『このビジネスは自社にとって良いか?』ではなく『これを社内に紹介して自分が恥をかかないか?』と考えます。だからこそ、詳細な資料作成と忍耐が必要です」
2つ目に挙げたのは「不確実性の回避」です。
「創業者である私たちは、不確実性や曖昧さが大好きな人種です。そこにビジネスチャンスがあるからです。しかし日本では、その曖昧さがリスクとして嫌われます。例えば、銀行口座との直接連携は規制当局にとって大きなリスクでした。そこで私たちは『セキュリティは絶対に曖昧にしない』と決め、詳細な安全対策を文書化しました。さらに驚いたことに、規制当局と一緒にプロダクトを開発するというアプローチが功を奏しました。これは欧米では考えられないことです」
3つ目は「長期志向」だといいます。
「欧米の『美しいビジョン声明3行』ではなく、5年間の詳細な実行計画と、それを毎週確認するKPI管理が重視されます。1つでもKPIを逃せば、直接会って説明・改善策を提示する必要があるのです。この綿密な実行管理こそが、日本の強みであり、私たちがそれを尊重することで信頼を得てきました。」
新たな挑戦 「組込み型保険」が広げる金融体験の可能性
セッションの中でサムは、Smartpayの新サービス「Embedded Insurance(組込み型保険)」の発表も行いました。大手保険会社と提携し、日本初となる旅行保険の組込み型商品の提供を開始します。
「決済は単なる支払いではなく、生活を守るためのものでもあります。例えば旅行を予約する際、その場で簡単に保険も選べるようにする。それも、複雑な入力や別アプリへの移動なしに、シームレスに。これこそが真の『組込み型金融』であり、私たちが目指す、生活者の安心を形にしたものです」 組込み型保険は、金融サービスの国際的なトレンドとして注目されている分野です。従来の保険購入プロセスを簡略化し、ユーザーが必要なタイミングで必要な保険に加入できる利便性を提供します。この新サービスは、Smartpayが一貫して追求してきた「日本の生活者心理にフィットするUX」という理念を、決済だけでなく金融生活全体へと広げる具体的な一歩です。
決済の未来像 「選べる自由」がもたらす新たな体験
このプレゼンテーションで示されたのは、Smartpayが追求する「決済体験の新たな形」という挑戦です。特にサムが強調したのは、日本市場における「消費者の信頼」の重要性です。日本の消費者は単なる利便性や新機能だけでなく、自分の生活習慣や価値観に寄り添う体験を求めています。
Smartpayの取り組みは、こうした日本特有の感性を深く理解し、技術とユーザー心理の両面から決済体験を再設計するアプローチです。金融は制度であり、決済は体験です。その体験を便利というだけで終わらせず、信頼できるものにする。そんな本質的な価値創造に取り組んでいます。
変革は、目新しさではなく、「生活者の感覚に寄り添い、わかってくれている」 という実感から始まります。その感覚をつくり出すことが、日本市場で支持される重要な要素であるといえるでしょう。このGFTNフォーラムの議論を通じて浮かび上がってきたのは、テクノロジーの進化と同じくらい、あるいはそれ以上に、消費者の心理に寄り添う姿勢が日本の決済革命において不可欠だという視点です。Smartpayが目指す「価値創造」とは、まさにその視点を体現するものなのです。